たけの無修正日記

毎日がんばるぞ

かくれきゅうり

サラダを選ぶときにきゅうりが入っていないものを選ぶ。

青臭い感じがどうも好きになれないからだ。

きゅうりから好きと言われても僕はブロックするだろう。

 

しかし,今日買ったサラダのレタスの下に細切りになったきゅうりが,

隠れているではないか。なんてことをしてくれているんだ。

 

食べられないではないか。

 

電気風呂を入れてこそ本当の銭湯通

銭湯が好きでよく行くのだが,どうしても入れない風呂がある。

電気風呂である。denki buro,エレクトリックバス。

 

今日,銭湯に行ったときに,電気風呂をウォッチングしていたが,

誰も入っているところ見かけなかった。

たまに銭湯レベル99の爺さんがノーリアクションで入っているのを見ると,

人造人間ではないかと思ってしまうぐらい,この風呂,めっちゃ痛いのである。

銭湯を愛し,愛された人物しか入ることが認められない風呂。それが電気風呂だ。

 

だが今日は自分への自信があったのか,

「もしかしたら今ならいけるんじゃないか」と,

社会に揉まれストレス耐性もついた今ならいけるのではと思い,

まずは足だけ浸かってみた。

 

ここまでならピリピリするレベルだけど入れる。自身の成長を感じた。

このまま入れるのではないかと,身を沈めていくと,

腰辺りでつんざくような10万ボルトが骨に貫通した。

誇張なしで,骨が砕かれるような危険を感じて,すぐに飛び出した。

 

うぬぼれていた。銭湯レベル35の自分はマサラタウンで経験値を積むべきだった。

子どもの頃わさびが食べられなかった自分が寿司にはわさびなしでは,

物足りなくなってしまったように,

ビールが飲めなかった自分がビール無しでは生きていけなくなったように,

電気風呂もそう思える日が来るのかもしれない。

色彩検定2級を受けてみた

今日は明治大学中野キャンパスで行われた色彩検定を受けに行ってきた。

 

3級を持っていないこともあり,1か月ぐらい前から3,2級の問題集とテキストを購入して,小1時間ぐらいほぼ毎日勉強していた。

 

しかし,1週間ぐらい前からテキストの内容が頭に入っていなかったので「あ,これ間に合わんかも」と弱音になってしまい,さらに「何でおれはこの検定の勉強をしているんだ?」と懐疑的になってしまい,また読書にはまったりしてしまい,もはや合格を諦めていた。

 

そのためここ1週間ぐらいはテキストを一切見なかった。安西先生の「諦めたらそこで試合終了ですよ」が,ここ1週間,心の中でこだましていた。

 

そんな諦めモードのなか会場に着いた。試験時刻の1時間前に着いたこともあり,1番乗りであった。会場にいた試験官には,めちゃくちゃやる気が入っている奴に思われていたと思う。

 

しかし,本当にやる気がなかったのでカバンの中に勉強できるものを持っていなかった。その代わり,みうらじゅん氏の著書「人生エロエロ」を試験開始まで読んでいた(卑猥な絵が入っているのに,試験会場で読む本としては似つかわしくない)。

 

周りから見たら,1番早くについているにもかかわらず一切勉強していないので,余裕のあるやつとみなされていたに違いない。もしかしたら,僕を見る人たちは,その余裕っぷりに「あいつ勉強しないのかよ」と動揺し,目が泳いでいたのではないだろうか。

 

色彩検定の合格基準は70%以上の正解率らしいが,この%も絶対的なものではなく,どうやら相対的なものらしい。

 

もしかしたら自分が読書することで,周りを動揺させ,普段の実力を出させなくすることで,自分の合格率が上がるのではないかとひらめいた。そうすると,これはある意味戦略的読書になる。そしてみうらじゅん氏が書いた強烈な絵を見た周りの生徒は軒並み点数が下がるに違いない。

 

勝った。この試合は終わってなかった。まだ勝機はある!!!

そして試験開始時刻となり,試験用紙が配られた。

パッと問題用紙を見て,早速鉛筆を転がした。

わからなすぎた。しっかり落ちたと思う。

 

ちなみにどうでもよいが,男女比は1対9で商業高校や吹奏楽部に入ると,こんな気持ちなのかなぁと思った。本当にどうでもいい。

 

そして,帰り道に中野セントラルパークを通ったが,噴水の周りに子どもたちがものすごい集まっていて,「中野区のこどもが全員集結したのではないか?」と思うほどだった。これもどうでもいいことだ。

革靴は誰がためにある?

会社はスーツ出社が規定なので,必然的に革靴で行かざるえない。

だが,この革靴というものは通気性が悪くて熱や匂いがこもりやすく,クッション性も毎日履いているとなくなり足が痛くなることが多い。

 

出社時の憂鬱なポイントの一つとして,革靴を履くこととが大きなウエイトを個人的にはしめる(スーツを着ることもある)。よく考えてみて欲しい。週末に遊びに行くときに,革靴やスーツを着ていく人というのはいるだろうか? 

 

おそらくそんな人見たことないだろう。なぜかというと,動きにくく,疲れてストレスがたまるのだからだ。

 

そうなってくると仕事の時に革靴を履いているというのは,みんなビジネスのルールに則って当たり前になっているものの,どこかで無理をしているからだと感じる。みんな履きたくないのに,社会に排除されるのが嫌で履いているのだ。コロナ禍でマスクを外したいけど外せないという,人の目によってあるいみ縛られているのに違いない。

 

そもそもどうして着物を起源にもつ日本が革靴を履くことを強いられていたかと思うと,明治の文明開化にあるのではないか。わからないが,欧州や米国を視察しに行った際に,スーツで革靴の人たちを見て,日本に輸入したのではないだろうか。

 

またはビジネスの場面で外国人を相手にするときに,着物や袴で交渉するのでは相手になめられると思い,スーツに革靴を日本人に履かせるようになったのではないか。今年のG7だって,岸田総理はスーツに革靴だった。別に袴に下駄で,ウクライナ情勢の交渉をしたっていいのではないだろうか。

 

長々と書いたが,要するに革靴を履くのが嫌なのだ。スニーカーを履きたいのだ。

 

そこで考えた。革靴っぽいスニーカーを履けばバレないのではないだろうか。頭の上で電球が光った。早速,靴屋に直行した。すると革靴10000円が半額の値段で売られていた。安い!そしてカッコいい! ためらわずに即購入した。

 

スーツに合わせるとビシッと決まるではないか。革靴はカッコいいのである。

いつか「いつもの」とオーダーしたい

「キッチンABC」という池袋のジュンク堂の隣にある定食屋によく行く。

1000円以内で美味しく早く食べられるからだ。あと,うっすら昭和の歌謡曲がかかっているのも心地よい。

 

そこのお店に行くと必ず食べるのが「豚からし定食」。豚肉に黒コショウ?で味付けされたシンプルな食べ物なんだけど,やみつきになる。焼肉や生姜焼きとはまた違った食べ物で,日本全国でここでしか食べられない味だと思っている。

(池袋の洋包丁やミトヤ食堂でも同じメニューがあるが,断トツでここの豚からしが一番だと思っている)

 

とんからし定食目当てで通い始めて3年以上経つが,店長(?)らしき人に「いつもありがとうございます」「今日もいらっしゃい,お疲れ様」などと声をかけられ,間違いなく顔を認識されているという自負がある。

 

ここで思うのだが,ドラマなどで見かける「いつもの」というオーダー方法。ここまで通い詰めて,毎回とんからし定食を注文しているのだから,もしかしたらできるのではないか,そんな気持ちがふつふつと込み上げてきた。

 

ということで,本日の夜にキッチンABCに行って実験してみることにした。3年前は夜中に行ってもすぐに席に通されるぐらい空いていたが,今はカップルや女性にも認知度が広まって,並ばなくてはならないぐらいの人気になっている。

 

個人的には並んでまでご飯を食べることが好きではないが,今回は「いつもの」を言って通じるか実験したいため,並ぶことにした。

 

回転率は速く並ぶこと10分ほどして,店内に入ることができた。よし,早速あのワードで注文しよう。「すいませーん」と店員さんを呼ぶと,今まで見たことのない大学生ぐらいのあどけない青年がオーダーを取りに来た。

 

なに。初対面の店員さん,しかも新人の店員さんにさすがに「いつもの」と言ってもポカーンとさせるだけだ。ゴリ押しで通してもやばい奴が来たと思われるに違いないので,おとなしく「豚からし定食,大盛で」と注文した。

 

「いつもの」ということは,日ごろの努力だけでなく運もあるのかと思った。そんな気持ちを抱きつつも,やっぱり豚からし定食は美味しかった。

 

【公式】キッチンABC|昭和44年創業の老舗洋食屋 | 豊島区を中心に池袋西口店、池袋東口店、南大塚店、江古田店の4店舗展開しております。 (tf-abc.co.jp)

 

 

ペペロンチーノに添えてある唐辛子は食べるべきなのか

今日は個人経営のイタリアンレストランに入った。建物がロッジ風の作りになっていて,都内なのに山梨の山奥に来たような気持ちにさせられた(山梨の山奥には行ったことありませんがなんとなく)。

 

店内も木の椅子や机が置かれていて,店員さんもボーダーのTシャツが制服みたいで,なんか牧歌的な気持ちにさせられた。すごくよい。仕事の締切が近づいていたけど,焦らない焦らないと思うことが許されるようなそんな店内だった。

 

大学生位の女性の店員さんが接客をしてくれたのだけど,明らかに新人さんっぽいなと思った。だって,その後ろで30代ぐらいのベテランお姉さんが常に目を光らせているから。

 

僕がサラダを食べ終えたら,そのお姉さんが「ほら,あそこサラダ食べ終わってるよ。どうするの?」と新人さんに小声で指摘していたんだけど,店内も狭く,静かなので,明らかに僕にも聞こえてくる。

 

新人さんが緊張しながら,小声で「これ下げますね」とお皿を片付けてくれるのを,僕は事前にわかっていたけど,白々しく演技して,聞いていなかったことにした。僕なりの小さな優しさである。

 

僕も大学生の頃に飲食でアルバイトしていたから,オーダーを取ってキッチンに伝えるのをしどろもどろになっていた時期もあったので,あたたかい目で見守っていた。

 

それから5分ほどして注文したペペロンチーノが届いた。いつも疑問に思うのだが,ペペロンチーノに付いてくる唐辛子は彩のためにあるのか,それとも味変したい時のためにあるのか,いつも疑問に思う。

 

違うレストランで唐辛子を食べた時は辛さがまったくなかったこともあり,彩であり,味変であると思っていた。その経験もあって今回もパクリといってみたが,顔から火が出そうになった。激辛であった。辛いというか,もはや痛かった。

 

これは味変ではない,彩のためなのだと確信した。しかし,なぜ彩のために置くのであれば,最初に警告してくれないのだろうか。「食べるな危険」と伝えて欲しい。食べ物の中に爆薬を仕込んでおくのと変わりないのではないのだろうか。

 

一人で食べているだけに,辛いというリアクションも出来ずに,平気なフリをしなければならないのもつらい。アルバイトをあたたかい目で見守っていたが,僕のほうもあたたかく見守ってほしいものだと思った。